久保建英はなぜペップとマンCのオファーを断ったのか。海外メディアが明かした“理由”の一端は…

久保建英はなぜペップとマンCのオファーを断ったのか。海外メディアが明かした“理由”の一端は…

2019.7.20 ・ 日本代表

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 レアル・マドリーでの新たなチャレンジをスタートさせた日本代表FW、久保建英。チームはカナダ・モントリオールでのキャンプを打ち上げ、空路でアメリカ・ヒューストンに移動。現地7月20日には当地で今季最初のプレシーズンマッチ、バイエルン・ミュンヘン戦が予定されており、日本のファンにとっては、久保が出場機会を得るかどうかが大きな関心事となっている。

 

 そんななか、南米のサッカーメディア『Diario Depor』が興味深い特集記事を組んだ。

 

 久保のマドリー移籍が決定する前、古巣バルセロナとともに有力候補に挙がっていたのがプレミアリーグ王者、マンチェスター・シティである。同メディアは「バルサはおろか、マドリーよりも好条件のオファーを出していたマンCは、なぜクボを獲得できなかったのか?」と投げかけ、「それはペップ(ジョゼップ・グアルディオラ監督の愛称)にも原因があった」と記し、以下のように説明している。

 

「タケフサ・クボはかつて所属したバルセロナではなく、新天地にレアル・マドリーを選んだ。報酬面で明らかな差があっただけでなく、入団2年目以降はトップチーム登録するとの約束を交わすなど、マドリーはクボ側の求めに誠意を持って応じたと言われる。だが、3つ目の選択肢があった。プレミアリーグのマンチェスター・シティである。ペップのリクエストにより、彼らもクボ獲得に乗り出していたのは事実で、そのオファーはマドリーをも上回る内容だったようだ」

 

 同メディアによると、マンCからのオファーが届いたとき、すでにマドリーとの交渉は始まっていたという。そこで一種の判断材料となったのが、ひとりの若きスペイン人MFの置かれたシチュエーションだった。この夏からマドリーで久保のチームメイトとなった19歳のアタッカー、ブラヒム・ディアスである。

 

 マラガの下部組織で研鑽を積んだディアスは2013年、バルサをはじめとしたビッグクラブの争奪戦の末、14歳でマンCへの移籍を決める。2016-17シーズンにトップ昇格を果たして将来を嘱望されていたが、なかなか出場機会は訪れず、プロ契約後に在籍した2年半でプレミアの出場はわずか5試合(しかも合計49分間)にとどまった。

 

 グアルディオラ政権下の昨シーズンはスタートからカップ要員に位置付けられ、プレミアの出場はゼロ。転機が訪れたのは今年1月で、マドリーへの完全移籍を実現させる。これがキャリアの分岐点となり、シーズン後半にラ・リーガで9試合・1得点と気を吐く。絶妙のタイミングだったのは、3月のジネディーヌ・ジダン監督の就任だろう。フランス人指揮官はディアスの才能を高く評価し、後方支援を惜しまなかった。


 『Diario Depor』は、「クボの周辺で、ベストの選択をするための有意義なアドバイスがあったという。若きブラヒムはグアルディオラの下ではポテンシャルをまるで発揮できず、ジダンの下ではほんの数か月で戦力のひとりと見なされるようになった。マンCにはあまり良い印象を持てなかったのだろうし、マドリーを選ぶうえで小さくない判断材料になったのかもしれない」と書き綴っている。

 

 入団が決まってから現在に至るまでの経緯を見るかぎり、マドリーとジダン監督が久保という逸材を大事に育てようと考えているのは明らかだ。構築されつつある厚い信頼関係。そこを拠り所に、今後のプレシーズンマッチ3連戦ではひと暴れもふた暴れもしてもらいたいところだ。

 

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

記事提供:サッカーダイジェストWEB

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