日本代表には戦術がない? 森保監督が採用する、合意式マネージメント

右アキレス腱の損傷でFIFA ワールドカップ欠場が決まったDF中山雄太に代わり、湘南ベルマーレのFW町野修斗が『森保殿の26人』に加わった。
DFが減ってFWを補充したのは、不思議に思えるかもしれないが、今回のFIFA ワールドカップは26人の拡大枠だ。+3の余剰をどう生かすのか、という発想では起こり得ること。
筆者の予想でも、26人の構成は1トップ系が4人、DFは8人だった。結果的には自分の予想と近くなったので違和感はない。
ただし誤算、いや大誤算と言えば、そこに入る一番手のFW大迫勇也がバックアップメンバー入りを断ったことだ。
もう少し、違う進め方が出来なかったものかと、思うところはある。ただ、もう仕方がない。教訓は教訓として、済んだことだ。思いがけず滑り込んだ町野には、ガラスの靴を履いて、元気ハツラツと祝祭を楽しんでほしい。
中山不在の影響
一方で考えなければならないのは、我々は中山を失ったことで、試合にどんな影響が出てしまうのか、だ。
左サイドバックは中山と長友佑都が、ダブルレギュラーのような扱いで起用分けされてきた。ポイントは左サイドハーフとの組み合わせだ。長友は南野拓実と縦のコンビを組むことが多く、中山は、三笘薫との組み合わせが多かった。これは出場時間に明確に表れている。
主な理由はレーンだ。南野は内側へ入りたい選手なので、大外レーンを駆け上がる長友との相性が良い。一方、三笘はウイングドリブラーなので大外レーンが主戦場だ。コンビを組むサイドバックは、内側のレーンに立ってボランチのようにサポートできる中山が適している。
実際のところ、長友と三笘が同時起用される時間は驚くほど短く、そうした起用を見れば、レーンが意識されていることはわかる。
しかし、中山は欠場が決まった。おそらく三笘投入の際は、中山に代わって伊藤洋輝が左サイドバックに入るのだろう。
その場合は左センターバックが手薄になるため、冨安健洋を右サイドバックへ移したり、終盤に5バックを組んだりといったオプションが実践しづらくなる。
3バックの左に右利きの板倉滉や谷口彰悟を配したり、あるいは伊藤のポジションを試合中に何度も変えたり、相馬勇紀に5バックの片翼を担わせたりと、試行錯誤する必要がありそうだ。
森保ジャパンへの批判内容
そんな面倒なことをせず、三笘に合わせて長友が内側のレーンに立つよう修正するだけで済めば、それが一番楽なのだが、そうもいかない。
なぜ、そこに立つのか、何を求められているのか。それらを瞬時に判断して実行できなければ、言われて立つだけになってしまう。
そもそも90分間、サイドハーフとサイドバックが別のレーンに立つことは絶対的な正解ではなく、共に大外レーンに立ってオーバーラップを仕掛けるなど、状況によっては同じレーンに立つ判断も必要だ。
しかし、言われて立つだけでは、そうした柔軟な選択肢も失ってしまう。
森保ジャパンは「戦術がない」「なぜ修正しないのか」と常々批判されてきた。その一方、筆者がこれまでJリーグを含む日本のサッカーを見てきた中で、このような「戦術がない」批判とは対照的に、よく聞いた常套句がある。
それは「戦術の型にはめてしまって選手が柔軟にプレーできない」「選手が言われたことをこなすだけになっている」といった、戦術肌のチームで起きやすい問題だ。
耳にタコが出来るほど聞いた。きっと、森保監督とは正反対の監督が就任していれば、この手の問題が起きる世界線もあったはず。
当然、理想はこれらの両極端には存在しない。個人の柔軟な判断と、チーム戦術の枠組みが交ざり合った中間に、理想のバランスがある。
選手の判断を重視
重要なことは、理想のバランスへ向かうため、森保ジャパンは個人のほうを入り口に設定していることだ。
たとえば、レーンに関して問題が起きたとき、それを監督が認識していても、すぐには修正しない。ピッチ内で選手が判断するのを待つ。
これは戦術ではなく、マネージメントの領域だ。森保監督は西野ジャパンのやり方を受け継ぎ、選手主導のマネージメントを4年間貫いてきた。
問題の答えは選手自身から出ることを求める。先に監督から正解を出さず、選手の側から出てくるまで、じっと待つ。その上で方向性が二分されたら、最終的に監督が一つの答え、起用にまとめていく。
このやり方はスタッフミーティングでも徹底されており、森保監督は自分の中に正解を持っている議題であっても、必ず全員の意見を聞いてから自分の意見を言うと、横内昭展コーチが語っていた。
選手主導のチーム。南アフリカ大会の事前合宿中にスイスのザースフェーで行われた選手ミーティング。あるいはロシア大会の合宿中に、オーストリアのインスブルックで行われた選手ミーティング。
いずれもチーム戦術を大きく左右するアイデアが、選手自身から出され、最終的に岡田武史監督や西野朗監督がその意志を受け、一つの起用にまとめた。
森保監督もそれと同じ方針だ。現代の欧州サッカーは、監督主導でチームを作るのが常識なので、邪道と言えば邪道に違いない。
日本の文化に合った進め方
ただ、このコラムは『世界基準』のタイトルを付けてはいるが、十把一絡げに欧州サッカーを真似するのが目的ではない。
技術や戦術などサッカーの仕組みについては、最先端を学び続けなければならず、そこに日本人云々は関係ないが、マネージメントは人だ。人がチームで最大の力を発揮する方法は、国の数だけ正解がある。
トップダウンで物事を進めることに慣れた文化の国では、カチッと戦術が与えられ、立ち位置を事細かに指示されたとしても、慣れた選手はそれを実戦用にアレンジすることができる。
日本のように全員の合意で物事を進める文化の国は、トップダウンに慣れておらず、指示されれば言われたことをこなすだけになる。監督が「左へ行け」と言えば右へ行く文化の選手と、指示に従順な日本の選手が、同じマネージメントで力を出せるとは思えない。
選手主導のマネージメント
カチッと型を与えられると、自由に、柔軟にプレーできない。だったら「自分たちで出した答えだからこそ、自由にアレンジできる」という選手主導のメリットを踏まえたマネージメントへ向かっていくのは、日本代表の手法として自然だと思う。
トップダウンほどの即効性は無く、時間もかかるが、全員で熟考してたどり着いた答えだけに、一度完成すれば個人の自立した判断や柔軟性も、覚悟も備えている。
ただし、それにはデメリットもある。一つは時間との戦いだ。合意式マネージメントは、意思決定に時間がかかる。また、選手が自立して動いてくれなければ、無駄な時間を過ごしてしまうため、スタッフ側からの働きかけ、その場を意図して作ることも大事だ。
南アフリカ大会で岡田監督が川口能活をメンバーに加えたことも、働きかけの一つになったと思う。今回はそうしたブーストがかかるか、間に合うか。
遠藤不在はどう響く?
もう一つは、中心メンバーが欠けた場合だ。今回は吉田麻也と共に、森保監督と直接対話をしてきた遠藤航が、脳しんとうによりFIFA ワールドカップへの出場が危ぶまれている。
中盤のデュエルキングを欠くという戦力の話だけでなく、マネージメントの懸念材料にもなる。選手個々はこれまで自立して発信してきたのか。それとも、監督の役割が吉田や遠藤に代わっていただけの話だったのか。それらも試される。
いよいよ、本大会が近づいてきた。いつものように、色々な人が、色々なことを言うだろう。それもFIFA ワールドカップ。筆者個人も試合の内容によっては、批判的なトーンで書かざるを得ないことがあるかもしれない。
ただ、好みは好みとして、チームや監督がやろうとしていること、長期的に進んできた方向性は理解するよう努めたい。ピザ屋でラーメンが無いと怒り散らすような批判は、したくないからだ。(文・清水英斗)
写真提供:getty images