日本サッカーは、カタールを目指した4年間の経験を継続させられるか? 森保ジャパンの歩みを振り返る

日本代表にとってのFIFAワールドカップは、クロアチアとのPK戦にて閉幕を迎えた。
ドイツを破り、コスタリカに敗れ、スペインに勝ち、地国開催の2002年大会を除くと、初めて1位でグループステージを突破。サッカー人気の低迷も叫ばれる中で、成果を出した意義は決して小さくないし、手応えもある大会だった。
とはいえ、これをもって日本代表や日本サッカーが荘厳なフィナーレを迎えた……なんてことはない。サッカーの物語は永遠の続き物なのだ。
カタール大会を振り返って、反省材料を抽出することは必要だが、もう少し大きな視点も忘れないほうがいいだろう。4年間というスパンで考える必要がある。
森保一監督の下で過ごしたこの期間は、色々と初めての要素があった。白黒ハッキリ言い切れるものでもないが、検証しておくべきだろう。
一人の監督で4年間は初
第一に「一人の日本人監督でFIFAワールドカップまでの4年間を過ごし、本大会も戦った」という経験は、実のところ初めてである。
日本が初出場した1998年大会は、ブラジル人のロベルト・ファルカン氏が更迭されて加茂周氏が引き継ぎ、最終予選途中でコーチだった岡田武史氏が緊急昇格した上で、監督として指揮を執った。
2002年大会はフランス人のフィリップ・トルシエ氏、2006年大会はブラジル人のジーコ氏が指揮し、2010年大会で再び日本人の岡田武史氏が指揮を執っているが、このときもイビチャ・オシム氏が病魔に襲われたゆえの就任だった。
そして2014年大会はイタリア人のアルベルト・ザッケローニ氏が指揮を執り、2018年大会はメキシコ人のアギーレ氏が八百長疑惑で離任し(後に無罪に)、ボスニア・ヘルツェゴビナ出身のハリルホジッチ氏が引き継ぐも大会目前で解任され、本大会は西野朗氏の下で戦った。
つまり、FIFAワールドカップまでの期間、一貫して一人の日本人監督の指揮下に置かれたのは、今回が初めてだったわけだ。
日本人監督でいいのでは?
J1リーグを3度制し、2018年大会は西野監督の下でコーチとして経験を積んだ森保氏の登用自体は、「日本人監督から誰を選ぶか」という文脈で言えば、自然な流れではあった。そもそも「外国人ではなく日本人を選ぶ」というのが史上初、イレギュラーな決断だった。
激しい軋轢を起こしたハリルホジッチ監督のトラウマがあったゆえの決断とも受け取れる流れだったが、そもそも「日本人監督でいいのでは?」という議論自体はそれ以前から出ていたものである。
議論の中には「日本人監督にチャンスがあるべき」「日本人のことは日本人が一番わかっている」といったよく聞く声もあるが、「そもそも一流の外国人監督は呼べないじゃないか。それなら日本人でいいのではないか」という声もあった。
この20年で日本経済が相対的に低下すると共に、欧州サッカー界がビジネス的に大きな成長を遂げて、経済的な格差が広がっていく中で、かつて欧州の監督たちにとって「儲かる仕事」だった日本代表監督の魅力も低下している。
西欧の監督は4年間にわたって拘束されることを嫌がる傾向が強く、この点も一流監督を呼べない理由だった。高額な外国人監督およびそのスタッフに投資した場合のリスクの大きさも、ネックだったのは間違いない。
ちなみに森保監督の年俸は、歴代の日本代表監督に比べるとかなり安いそうで、スタッフも数こそ多いものの、いわゆる大物を引っ張ってきているわけではないので、抑えめの金額だろう。日本人監督の極めて現実的なメリットとして、財政的な面があったのは否定できない。
「夢のない話を言うな!」と怒られてしまいそうだが、現実的には費用対効果も、考えるべき材料の一つだ。余った金額を育成に投資すれば、未来に回収できるものにもなる。
ハリルホジッチのときに問題視された選手とのコミュニケーション面も、不満を抱えている選手たちも当然いたとは思うけれど(これはどの監督であってもいるものだ)、それが表面化することはなく、最終的には一つのチームとして団結して戦えたことは明らかだった。
19人が初参加
よく懸念されるのは、日本人監督だと有力なベテラン選手を切れずに、世代交代が進まないことだが、森保監督の4年間で日本代表メンバーは刷新され、実に19名が初めてのFIFAワールドカップになった。
冨安健洋のように、早期に抜擢された若手が大きく伸びた点も含め、指揮官が就任当初から掲げていた「世代融合」は大きく進んだ。
これはもう一つの森保体制の特色である「五輪兼任監督」の効用であったのも間違いない。個人的に兼任監督は継続すべきだと思っているが、最大の効果は五輪そのものではなく、その後に繋がりやすいことである。
たとえば「ほとんど試してこなかった」と指摘されることの多い、今大会で用いた3-4-2-1システムについても、五輪世代の選手たちは、チーム発足当初の2017年から体感している。
本大会ではA代表に合わせる形で4バックにシフトしていたため、余り知られていないところだが、種は蒔かれていたわけだ。
板倉滉、田中碧といった選手たちが五輪代表からA代表へ引き上げられてスムーズにフィットしたのも、五輪で“森保ジャパン”をすでに経験済みだったからなのは明らかだった。
兼任のメリット
またコパ・アメリカや2019年のEAFF E-1選手権などで、五輪世代の多数に“A代表”としての経験を積ませることができたのも、兼任体制ならではだった。
日本サッカー協会としては、東京五輪での兼任体制は、地元開催で予選のない大会だからできたという立場だが、デメリットを上回るメリットがあるように感じる。今一度、継続する価値、兼任体制を成立させるための方策について議論があっていいのではないかと思う。
もう一つ、森保監督が前回大会で得た知見を、今大会へ向けてフィードバックできていたことは大きなポイントだった。
こうした形で前回大会の経験を明確に「継続」していたのも、実は初めてのことだったように思うが、これも日本人指導者を起用するメリットと言えるだろう。
一方で、日本人監督を起用する場合の問題点も感じられた。最大の問題はやはり、「学び」だ。
森保監督自身が常々「欧州から学ばないといけないことはたくさんある」と語っているように、サッカー界の最先端が欧州にあるのは明らかで、有力な日本人選手のほとんどがそのステージで戦っているという現実もある。
外国人監督を呼びたい
「学び」を考えるのであれば、欧州からの知見は継続的に採り入れたいわけで、この点で外国人監督を招くメリットはまだまだ大きい。
ただ、ハリルホジッチ元監督がそうだったように、欧州トップレベルに触れている今の代表選手たちにとって、並みの外国人監督では納得させられない可能性が高い。これはJリーグで実績のある外国人監督を使う場合でも同じだろう。
個人的には、日本サッカー界はまだまだ欧州から学ぶ余地が大きく、そのパイプを含め、また育成年代へフィードバックしていくことも合わせて考えれば、一流の外国人監督を呼べるのがベストだと思う。
お金を無限に使えて自由に選べるというなら、トーマス・トゥヘル氏を招きたいところなのだが、現実的にはそうもいかないだろう。
そうなると、「日本人監督+第一線を知る欧州のコーチ」といったセット起用も選択肢の一つかもしれない。もちろん、監督とコーチが“合う”かどうかに博打要素も出てしまうが、考えていい案である。
いずれにしても、今回の代表における主要スタッフの中から、新しい代表に「残る」メンバーは絶対に必要だ。経験を継続させられるなら、失敗もまた未来への財産になる。「必ず成功させられる監督」など絶対にあり得ないのだから、この点は強調しておきたい。(文・川端暁彦)
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