【私が見た玉田圭司】“玉田フィーバー”の裏で…大谷秀和に「良い兄貴的な存在」と慕われた人柄

【私が見た玉田圭司】“玉田フィーバー”の裏で…大谷秀和に「良い兄貴的な存在」と慕われた人柄

2021.11.26 ・ Jリーグ

シェアする

 2021年シーズン限りで現役引退を発表した玉田圭司。その輝かしいキャリアを様々な記者に振り返ってもらう。柏の番記者が見たのは、後輩に慕われた人柄だった。


―――◆―――◆―――


 玉田圭司とのやり取りで印象深い出来事は、実は私が日頃から取材する柏でのものではなく、彼が名古屋へ移籍したあとの、とあるインタビューである。


 そのインタビューのテーマはドリブラーだった。私は過去の記憶を呼び起こし、玉田が習志野高3年の時に出場した1998年インターハイ3回戦の初芝橋本高戦にて、センターサークル付近から開始したドリブルで5、6人を抜いて決めた圧巻のゴールの話を持ち出した。すると、玉田は「よく覚えていますね!」と驚いた表情を見せ、直後に「光栄です」と言って笑みを浮かべた。話も弾み、非常に良いインタビューになったことを記憶している。

  99年の柏加入後、03年に11得点を記録してブレイクを果たした玉田は、04年には日本代表にも選出され、アジアカップの大活躍もあって人気は鰻登りだった。すると柏の練習場に訪れるファンの数も爆発的に増え、ちょっとした“玉田フィーバー”が起きていた。


 柏時代の玉田の活躍で特に印象深い試合を挙げるとすれば、04年第1ステージ15節のC大阪戦、長居で決めたハットトリックと、同年第2ステージ第8節の横浜戦の2試合である。前者は12試合ぶりの勝利をもたらし、後者もまた雨の降りしきる日産スタジアム(当時横浜国際総合競技場)で、試合終了間際に劇的な決勝弾を決めた。エースが自らの得点でチームの窮地を救ったのだ。


 しかし当時の柏は、クラブ史上でどん底と言っていいほど厳しい時期にあり、04年と05年2年連続で入れ替え戦を戦わざるを得なかった、いわば低迷期である。玉田が得点を決めても、チームの結果に結びつかないことのほうが多い。一方で日本代表選手ゆえ、メディアから囲まれる機会は多くなった。チームを勝たせなければいけないという責任、ファンからの期待、そして取り囲むメディア……。当時の玉田は口数も少なく、おそらく彼も様々なプレッシャーを感じていたのだと思う。 前述した名古屋在籍時に担当させていただいたインタビューでの玉田は、真摯に対応しながらも笑顔を絶やさず、そのうえでドリブルに対する彼の持論をこと細かく語ってくれた。そしてインタビューが終わり、取材部屋を出る際には「タニ(大谷秀和)によろしく言っておいてください」と言伝も頼まれた。玉田と大谷は、ユースにいた大谷がトップチームに練習参加していた頃からの仲である。玉田は後輩の大谷をよく食事に連れていき、キャンプではふたりで『ウイニングイレブン』などゲームに興じる機会も多かった。大谷も、そんな玉田を「良い兄貴的な存在だった」と慕っている。


 柏で見せたプレーはどれもスーパーで印象深いものばかりだった。ただ、柏時代には知り得なかった彼の人柄に触れたという点では、名古屋でのわずか1時間程度のインタビューがもっとも印象深く、非常に有意義な時間になった。


取材・文●鈴木 潤(フリーライター)

記事提供:サッカーダイジェストWEB

シェアする

最新記事