小島伸幸氏×名良橋晃氏×遠藤直敏氏(湘南ベルマーレ・スタッフ)座談会…「これからもずっと一緒に」④

小島伸幸氏×名良橋晃氏×遠藤直敏氏(湘南ベルマーレ・スタッフ)座談会…「これからもずっと一緒に」④

2017.9.19 ・ Jリーグ

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1996シーズン後に、名良橋さんは右サイドバックとして憧れていたジョルジーニョのいる鹿島へ移籍。フジタの業績が厳しくなり、経営のスリム化が待ったなしとなった1998シーズンのオフには、小島さんもアビスパ福岡へ移籍した。離れ離れになってもベルマーレへの思いは消えなかっただけに、今シーズンからユニフォームパートナーという形で、実に18年ぶりにフジタとの絆が復活したことに表情を綻ばせる。


名良橋 古巣ということもあって、ずっと気にはしていました。でも、ワールドカップ・フランス大会が終わってフジタが撤退して、市民クラブに生まれ変わる過程の苦しさを誰よりも知っているのは(遠藤)直敏さんだと僕は思っています。今のベルマーレがあるのも直敏さんの力があってこそだし、ある意味、真のレジェンドは直敏さんだと僕は思っているので。


遠藤 何をおっしゃいますやら。長くいるだけですよ、いるだけ。ちょっとノブさん、『そうだよ、コイツ、いるだけだから』と突っ込んでくださいよ(笑)。


小島 いやいや、ベルマーレ平塚時代のOBがこうやって来られるのは、(遠藤)さちえちゃんを含めて、あの時代を一緒に戦った2人の仲間が今もいるというのが大きいし、誰もいなくなっていたら、ひょっとしたら協力するのが難しい状況になっていたかもしれない。


名良橋 僕は2007シーズンに再び移籍してきたじゃないですか。ただ、グラウンドも大神から馬入に変わっていたし、帰ってきたという感じがそれほどなかった。それだけに、直敏さんとさちえちゃんがスタッフにいたことは嬉しかったですね。


小島 僕は福岡で戦力外になって、群馬県リーグ1部だったザスパ草津に移籍した時に立てた目標が『Jリーグに上がって、自分が在籍したチームと対戦する』ことだった。これがモチベーションになったし、実際に2005年5月4日に平塚でプレーできたことは本当に嬉しかった。


遠藤 あの試合はJ2ながら、観客が1万人を超えましたからね。


小島 先制しながら後半に追いつかれてそのまま引き分けたけど、本当に感慨深いものがあった。ここでピッチに立てなかったら、もう少し現役を続けていたかもしれないけど。満足しちゃったのかもしれない。


遠藤 1993年秋の改修前は、アウェイチームのロッカールームが今とはまったく違う場所にあったのを覚えているでしょうか。今みたいに両側にはなかったんですよね。



名良橋 そういえば、磐田と日立(柏レイソル)を含めた三つ巴の昇格争いになった1993シーズンに、一時はダメと言われましたよね。スタジアムが基準を満たしていなくて、磐田と日立が昇格すると。


小島 そこは、フジタはゼネコンですから。作ることは得意ですから(笑)。


名良橋 ものすごいスピードで工事して、間に合わせてもらえましたよね。


小島 いまだに実現には至っていないけど、バックスタンドの土台は二階建てになっても耐えられる強度にしてあるからね。あの時のJリーグは本当にブームだったから、他のスタジアムに対抗できるようにと。


遠藤 その設計図は、今も馬入の事務所にありますよ。


名良橋 さすがノブさん、東京本社総務部勤務だけだったことはある!


小島 いやいや、僕は電卓の叩き係だから。ナラは最初からプロ契約でしょう?


名良橋 何をおっしゃいますやら。僕も最初の1年間は東京支店総務課でしたよ。総務課というよりはシュレッダー課で、8時半に出勤すると机の上に不要な紙が積まれている。他にはほとんど何もせずに午前中の勤務を終えて、練習に行きたかったので、1枚ずつゆっくりとシュレッダーにかけていましたけど。


小島 そういえば、大神グラウンドは新幹線の窓越しに見ることができるじゃない。なので、チームが新幹線で遠征に出るときは、ちょうど車両が通過する時刻に、ベンチに入らなかったメンバーで『V』の人文字を作ってエールを届けていたよね。


名良橋 みんなが手を振っていてくれる時もあるので、いつも気にはしていました。座っているのが大神側じゃない時は、みんな必ず立ち上がって窓の外を見るようにしていた。


小島 だから、新横浜の先、大神を通り過ぎるまではみんな絶対に寝ないんだよね。


名良橋 どうなっているのか、今も気にして見ちゃいますから。その意味では、フジタがもう一度帰ってきてくれたことは、心強いサポーターが増えた気がして本当に嬉しいですよね。フジタ工業サッカー部の前身である藤和不動産サッカー部が創部されて、来年でちょうど半世紀という節目でもあるので、これからもずっと一緒に戦っていきたいですよね。


小島 長く社員として勤めてきた縁からか、何かずっとフジタとつながっていて、イコール、ベルマーレというのが僕の中にはある。加えて、再びスポンサードできるほど会社として元気になった、景気が上向いてきたということにもひと安心ですね。


遠藤 僕はありがたいことにフジタに戻るか、ベルマーレの新しい運営会社へ移るかという選択肢を与えていただき、迷うことなく後者を選びました。例えるなら親元を一度離れて湘南ベルマーレになり、観客が数千人の時代からようやく独り立ちできるような感じになれたのかなという気はしていますし、その意味でもフジタの方にもOBの方にも、今現在のベルマーレをもっと見て欲しいですよね。


名良橋 若いチームであり、なおかつJ1で十分に戦える力をつけてきているとも思う。なので、湘南スタイルをもっと発展させて、21世紀版の「湘南の暴れん坊」というものを彼らの手で作り上げて、ピッチで躍動してほしいですね。


小島 僕はJ1に定着して欲しいのともうひとつ、OBとして代表選手を輩出して欲しい。才能ある選手を留めておけるようなチームになり、ワールドカップの度に選手名の横に所属先として『湘南ベルマーレ』が添えられる状況を楽しみに待ちたい。1998年のフランス大会は僕、ヒデ、呂比須ワグナー、そして韓国代表の洪明甫と4人の代表選手がいたので。



■プロフィール


小島伸幸(こじま・のぶゆき)


生年月日/1966年1月17日 出身地/群馬県前橋市


新島学園高、同志社大を経て、1988年フジタに加入。チームのJリーグ昇格も経験するなど98年まで平塚(現湘南)で活躍した。その後、福岡、草津(現群馬)でプレーし、2005年に現役を引退。元日本代表GK。現在は解説者、指導者として活躍する。


 


名良橋晃(ならはし・あきら)


生年月日/1971年11月26日 出身地/千葉県千葉市


千葉英和高から1990年フジタに加入。攻守両面に優れたサイドバックとして96年まで平塚(現湘南)で活躍。97年、鹿島に移籍すると2006年までプレーし、2007年に湘南に復帰。その年に現役を引退した。元日本代表。現在は解説者として活躍。


 


遠藤直敏(えんどう・なおとし)


生年月日/1969年3月4日 出身地/大阪府大東市


1992年に株式会社フジタ入社後、本社スポーツ事業推進室の一員としてフジタサッカークラブ副務の職に就く。その後フジタの経営撤退後、00年より正式に湘南ベルマーレに入社。以降クラブでは主務や強化担当、運営担当等を歴任している。


 


●インタビュー・文=藤江直人(ノンフィクションライター)


記事提供:Goal

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