知られざるダビド・ビジャ――何度でも繰り返そう。この男は“見事なグアヘ”だ…Jリーグ最高の点取り屋へ

知られざるダビド・ビジャ――何度でも繰り返そう。この男は“見事なグアヘ”だ…Jリーグ最高の点取り屋へ

2018.12.7 ・ Jリーグ

シェアする

文=ディエゴ・ピコ(Diego Pico)/スペイン紙『MARCA』バレンシア番


翻訳・構成=江間慎一郎


ダビド・ビジャの父親メルは、バレンシアの練習場でコーヒーを飲んでいる私に向かって、いつもこう語りかけてきた。


「あいつは、見事なグアヘだぞ」


“グアヘ”はダビドの出身地アストゥリアスで使われる言葉で、彼の愛称だ。その意味はフェルナンド・トーレスの愛称ニーニョと同じように子供や少年といった意味があるほか、炭鉱夫見習いのことも指す。炭鉱で石炭を採掘しながら育ったメルは、蒸留酒の入ったコップが運ばれていくその口から、いつも同じトーンで、同じ言葉を発して息子を誇ったのだった。


メルに精神を鍛え上げられたダビドは、決して屈することのない、逞しい人間だ。彼を見知った日のことは、まるで昨日のように思い出せる。あれはバレンシアの入団発表に臨む前日、バレンシア州都にほど近いアルボラジャのホテルでの出来事である。私は彼の代理人ホセ・ルイス・タマルゴから連絡を受け、『マルカ』のレポートを記すためにカメラマンとそのホテルを訪れた。


移籍金1200万ユーロで、サラゴサからバレンシアに鳴り物入りで加入したダビドだが、ホテルで対面したばかりの彼は、何か怯えているようにも映った。しかし実際に話し込んでみると、自分の歩む道程に対して、揺るがぬ確信を持っているのだなと感じさせた。そしてダビドとの会話を終えて、彼が部屋へと戻った後、代理人は私たちに対して一つの予言を述べたのである。


「彼はスペイン・フットボールにおいて、歴代最高のストライカーになる」


私は、一気呵成にレポートを書き上げた。ダビドの確信と、タマルゴの予言に後押しされて。そして後にダビドの悩みの種にもなる代理人の予言(または謳い文句)は、見事的中するのだった。


■ゴールの中毒者



グアヘがバレンシアでレギュラーとなるまでには、3試合しかかからなかった。そこから急激な成長曲線を描いていき、何よりも勝利を求めて、ゴールをがつがつと貪っていった。彼は、まさしくゴールの中毒者だった。それを手にするルート、手段、技術は無数に及んだが、いつもまるで当たり前のようにフィニッシュまでたどり着いて、ゴールネットを揺らした。バレンシアには2005-06シーズンから2009−10シーズンまで在籍し、公式戦225試合で129得点を記録している。


ダビドのバレンシア時代を象徴するプレーの一つとしては、バルセロナ戦で披露したグアヒーニャが挙げられるだろう。それは右足でボールを引き、軸となっていた左足のかかとに当てて、一瞬の内にダニ・アウベスの股を抜いた今なお語り注がれる伝説的なプレーだ。その試合の直後、私はグアヒーニャについて話してもらおうとダビドに声をかけた。すると彼は、さも当たり前のようにこう答えたのだった。


「ディエゴ、あれは自然と出たものなんだ。練習してできるものでもない」


ダビドは、やはり当たり前のようにスペインのフル代表にまでたどり着き、こちらでもゴールを積み重ねていく。クルーザーの速度を獲得した彼は、もう誰にも止められなかった。ラウール・ゴンサレスの代表引退を早めて、彼の背番号7を受け継ぐと、EURO2008、南アフリカ・ワールドカップ(W杯)優勝を達成。EUROでは4得点で得点王となり、W杯では5得点で最多得点タイ(得点王はアシスト数で勝ったトーマス・ミュラーのものに)の活躍を披露した。


■バルサでは苦悩も



バレンシアでもスペイン代表でも活躍するダビドを、ビッグクラブが放っておくことなどあり得ず、激しい争奪戦が繰り広げられている。この時期に私は、彼にはバレンシアに残る意思があるという声明の作成を手伝ってくれと、代理人タマルゴから依頼を受けた。けれども、レアル・マドリーとはあとコーヒーを一杯ともにすれば移籍成立というところまで行くなど、本人は実際的にバレンシア退団、もっと言えば新たな挑戦へと傾いていたのだった。そうして南アフリカW杯開幕直前の2010年5月末、ダビドは4400万ユーロという移籍金でバルセロナに加わった。


カタルーニャのクラブで、グアヘは獲得タイトルを増やしていったが、それとは反比例する形でプレーする喜びを失っていく。カンプ・ノウでは自分の居場所を見つけられなかったのだ。レギュラーではあったしゴールだって決めていた。が、彼とバルセロナのドンであるリオネル・メッシの関係は、少なくとも快くプレーするために問題が何もなかったというわけではなかった。


かてて加えて、この頃のグアヘは彼のことを裏切り、“元”代理人となっていたタマルゴと裁判で争ってもいた。タマルゴ側が実際に関わっていなかったバルセロナ移籍の手数料として、600万ユーロを彼に求めたことで――。結局、その訴えは退けられたものの、裁判所で目にした引きつった表情を浮かべるダビドを、私は決して忘れることができない。彼はバルセロナでのプレーに、信頼していた人物の背信に深い、とても深い苦味を感じていたのだった。


■アトレティコ、そしてアメリカへ



3シーズンで119試合48得点という記録を残し、ダビドはバルセロナを離れてディエゴ・シメオネ率いるアトレティコ・デ・マドリーへと移籍する。アトレティコに在籍したのは1シーズンのみだったが、彼はスペイン首都での暮らしに求めていたものを見つけた。事実、アトレティコやレアル・マドリーの選手たちが住む高級住宅街のフィンカでは、彼の家が現在進行形で建設されている。


ダビドはアトレティコでジエゴ・コスタと2トップを組み、リーガ優勝及びチャンピオンズリーグ決勝進出に貢献。シメオネは新戦力をレギュラーとするまでに時間をかけることで知られるが(アントワーヌ・グリーズマンでさえ、加入から5カ月間はベンチ要員だった)、彼はすぐさま重用された。チョロ(シメオネの愛称)はグアヘのことを、次のように評したのだった。


「本当に素晴らしい選手であれば、どのチームにも適応するのだと思う。高クラスの選手というのは、どのようなシステムにも対応できるものなんだ。ビジャは戦術面で天才的だったね。彼はヒエラルキーの上位に位置する真に高クラスの選手だが、その才能をチームのために使えた」


ダビドは「僕と自分の家族にとって断れないオファーを受けた」との理由でアトレティコに別れを告げて(同クラブでの成績は47試合15得点)、ニューヨーク・シティに加入。アメリカでは、自分が世界的な名声を獲得していた選手であることを思い知ることになった。新たな代理人であり、決して離れられない友人ビクトール・オニャテとともに、彼はその存在をより強く印象づけていく。フットボールスクールを開いたり、メジャー・リーグ・サッカーの広告塔になったりすることで……。


■どんなにゴールを決めても…「僕はヒーローではない」


だがしかし、たとえどれだけ有名になろうとも、グアヘがその謙虚さを忘れることはない。私はバケーションがてら家族とともにニューヨークを訪れて、彼にインタビューを敢行したが、その振る舞いはバレンシア時代と何ら変わらなかった(おそらくは、スポルティング・デ・ヒホンの下部組織で研鑽を積んでいた頃からずっと変わらないのだろう)。ダビドとビクトールは試合をボックス席で観戦させてくれ、終了後にダビドは自分たちのもとを訪れて、私のいとこの子供たちと冷たい飲み物を口にしながら談笑していた。子供たちは、もちろん彼に首ったけだった。


ダビドはニューヨーク・シティで、キャリアの晩年を過ごしているわけではなかった。「もっと良い選手になるために、チームを助けるために努力をしている。何よりも、僕の専売特許であるゴールを決めることでね」。これが、あのときのインタビューでの発言だ。ほぼすべての人生に寄り添ってきた妻パトリシア、そしてその子供たちとマンハッタンの5番街に腰を落ち着けた彼は、空色のチームのためにこれまでと同じようにゴールを決め続けた。またあの時期には、ゴール同様に世界を駆け巡った場面も存在した。それは、彼がホームレスの親子に食べ物を与えている姿である。


「どんな人でも同じことをしていただろう。ただ、僕がそうしている場面が撮影され、拡散したというだけだ。夕食の時間に、ああして父親と一緒にいる子供を見て衝撃を受けた。その10分前に『フェイスタイム』で、夕食をとっている自分の息子と話したばかりだったから。だから夕食を買って彼らにあげた、それだけだよ。僕はヒーローではない。あんなことしかできないんだ」


■Jリーグ最高の点取り屋へ



ニューヨーク・シティで120試合80得点という足跡を残したダビドは、これから日本で新たな挑戦に臨む。加入先は、南アフリカW杯から親交を深めるアンドレス・イニエスタが在籍するヴィッセル神戸。だが彼は、友人と思い出話に花を咲かせる気など、毛頭ない。その目標はスペイン、アメリカでプレーしていた頃と同じ。すなわち、Jリーグ最高の点取り屋となることだ。


36歳となりトウが立ったとの指摘もあるだろうが、彼が現役でやれると思っている限りは、ネットを揺らし続けるだろう。走力こそ衰えたものの、相手の視界から消えて最終ラインを抜け出す技術は抜群。絶好のタイミングで足を振り抜き、力強いシュートを突き刺していくはずだ。そう、彼のシュートはゴールへのパスなんてものではなく、まさにシュートである。ボールスピードが早く、なおかつ精度の高いボールを蹴り込むからこそ、DFだってGKだって反応することができない(加えてループシュートで意表も突く)。それこそ彼というストライカーの“決定力”の源である。


「イジャ・イジャ・イジャ! ビジャ・マラビージャ(素晴らしきビジャ)!」


スペイン代表最多得点者(97試合59得点)、スペイン・フットボール歴代最高のストライカーのキャリア最終章が、まもなく始まる。バレンシアの本拠地メスタージャで何度も、何度も歌われたあのチャントは、日本でもこだまするに違いない。そうに決まっている。とどのつまり、彼はピッチ内外で愛される、それはもう“見事なグアヘ”なのだから。私も父親メルと同じトーンで、同じ言葉を繰り返していきたい。


文=ディエゴ・ピコ(Diego Pico)/スペイン紙『MARCA』バレンシア番


翻訳・構成=江間慎一郎



記事提供:Goal

シェアする

最新記事