小野、稲本、遠藤、小笠原…黄金世代とはなんだったのか。世界準Vから20年、日本サッカー史に燦然と輝く“最強”

小野、稲本、遠藤、小笠原…黄金世代とはなんだったのか。世界準Vから20年、日本サッカー史に燦然と輝く“最強”

2019.4.20 ・ 日本代表

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 黄金世代は日本サッカー界に、どんな風を吹かせたのだろうか――。

 

 小野伸二をはじめ、稲本潤一、遠藤保仁、小笠原満男、中田浩二、高原直泰、本山雅志らきわめて個性的で質の高い選手がこの世代に集まった。奇跡としか言いようがない。

 

 彼らが中学生だった時代にJリーグが開幕し、プロという目標はできたが、サッカーの素地はそれ以前に形成されている。みな、育った地域も環境もチームもバラバラだ。指導者レベルもいまほど高くはなく、指導方針もそれぞれのチームの監督次第だった。彼らはそれぞれの場所で純粋培養されて育ってきたのだ。

 

 それが個性となり、お互いの違いが武器になった。現在のように指導が画一的で、個性がスポイルされる時代には、彼らのような強烈な個性と高い能力の持ち主が一堂に会するという奇跡は起こりにくくなっている。彼らは日本中に放牧されたなかから集められた「天然の一級素材」だったのだ。

 

 黄金世代が、その名を日本サッカー界やファンに轟かせたのは、1999年のナイジェリア・ワールドユースである。FIFA主催の世界大会で日本は史上初となる準優勝に輝いた。

 

 この「準優勝」という結果が黄金世代のスタートになった。

 

 もし、彼らがベスト8くらいで終わっていれば、「優秀な選手が揃った世代だった」というレベルの評価に終わり、それほど注目もされていなかっただろう。だが、決勝に進出し、世界と互角に戦ったことで彼らは高く評価され、世間の注目を浴び、多くのひとに見られることでさらに成長していった。下の世代の選手には、「あの舞台に立ちたい」と思わせるモチベーションを生んだ。そして、ファンには「日本サッカーは捨てたもんじゃない」と今後への期待を膨らませてくれた。

 

 これが非常に大きかった。


  この前年、フランス・ワールドカップに初出場した日本代表はグループリーグで3連敗を喫し、世界がとんでもなく遠いことを選手もファンもメディアも思い知らされた。その結果、ワールドカップ前に大きく膨らんだ期待はあっという間に萎み、世界との差に日本サッカー界は打ちひしがれていた。そんななか、世代別カテゴリーとはいえ、若き精鋭たちが世界の強豪を打ち負かし、決勝にまで進出したのだ。その偉業は98年の悪夢から日本を目覚めさせ、選手たちは「俺たちでもやれるんだ」と自信を取り戻し、2002年日韓ワールドカップに向けて大きな希望の灯をともした。

 

 黄金世代が日本サッカー界のV字回復、その着火剤となったのだ。 現在に至る日本人選手の海外移籍の流れを作ったのも、彼らだった。

 

 最近では前回のU-20ワールドカップで堂安律が活躍し、オランダへの移籍が決まったが、99年のワールドユース後は大会のベスト11に小野と本山が入ったのにもかかわらず、誰ひとりとして海外移籍が実現しなかった。当時は、中田英寿がセリエAでプレーしていたが、日本代表のトップの選手しか海を渡れなかったのだ。それほど海外移籍は狭き門だったのである。

 

 小野たちが海外に行くまでナイジェリアから2年間の時間を要している。

 

 彼らはスポンサー枠や客寄せパンダではなく、個々の力を評価され、しかも有名クラブへの移籍を実現させた。小野はオランダの強豪フェイエノールト、稲本はプレミアリーグのビッククラブであるアーセナル、高原はアルゼンチンの強豪ボカ・ジュニオルスである。その後、中田浩二、小笠原満男らも欧州に渡った。

 

 小野は、その技術の高さと独特のセンスで入団1年目から活躍し、UEFAカップで優勝、その後もオランダやドイツで活躍した。アーセナルでの稲本は1試合も出場できずに苦しんだが、02年日韓ワールドカップで活躍してフルアムへの移籍を勝ち取り、約9年間、海外でプレーした。そうした彼らの活躍と努力の跡に海外への道が開かれ、その後、長谷部誠、本田圭佑、香川真司、長友佑都、岡崎慎司らが海外移籍へのチャンスを掴んだ。いま、若い選手たちが比較的容易に海外へ飛び出していけるのは、自らの実力もあるが、小野たちが作った道でもあるといっても過言ではない。


  日本代表への貢献度もすこぶる高い。

 

 黄金世代の選手たちは、ワールドユースに続く2000年のシドニー五輪でも、U-23日本代表の中心的存在となり、フィリップ・トルシエ監督の「申し子」と謳われて、日本代表の中核をも担っていった。それは日本代表にとってとても大きな意味を持っていた。

 

 ひとつは、トルシエ戦術の良き理解者であった小野や稲本は、A代表のチーム作りで「フラット3」の手本となっていた。そのため、チーム作りはトルシエの想像を超えるペースで進んだ。2000年のアジアカップでチームはほぼ完璧に仕上がり、圧倒的な強さを示して優勝を果たしている。

 

 もうひとつは、彼らがチーム内の競争を刺激したという点だ。年上の選手たちは「こいつらに負けられない」と意地を見せ、それがチーム力を高めるひとつの要因となった。

 

 代表人気を飛躍的に伸ばしたのも彼らだ。

 

 小野や稲本らの人気選手は空前のワールドカップ景気と重なって一気にブレイクし、あらゆるメディアがこぞって彼らを取り上げた。一般のファンも選手個人から代表へと興味が広がり、代表の注目度はフランス・ワールドカップ時をはるかに凌ぐ大きなものとなる。彼らの人気が代表の人気を押し上げていったと言えるだろう。

 

 もちろんその実力を、結果で証明してみせた。02年日韓大会のロシア戦で稲本はワールドカップ初勝利となる歴史的な決勝ゴールを決め、中田浩はフラット3を敷く最終ラインで4試合にフル出場を果たした。06年ドイツ・ワールドカップでは黄金世代が23名中8名も選出されるなど一大勢力に。もっとも、ドイツ大会で試合に出場できたのは高原や加地亮らごくわずかな選手のみ。彼らは力があるからこそ自らのエゴを強く押し出してしまい、それがグループリーグで敗れ去ったひとつの要因ともなった。 79年組の選手が黄金世代になり得たのは、トルシエの存在を抜きには語れない。

 

 彼らの能力の高さを知ったトルシエはワールドユース前にブルキナファソ合宿で劣悪な環境の下でプレーさせ、メンタルを磨いていった。それがあったからこそナイジェリアでのさまざまなハプニングにも彼らは笑って対応し、タフに戦うことができた。そうして、結果を出した彼らを五輪代表やA代表の中心に登用することで、さらなる成長を促した。トルシエは彼らがステップアップする道筋を描いてくれたのだ。トルシエがいなかったから黄金世代は、その輝きを半減させていたかもしれない。

 

 黄金世代は、平成中期の日本サッカー界を先頭に立って引っ張ることで、革命的に発展させ、さらにワールドカップでは成功と失敗の両面で大きな財産と教訓を残してくれた。ただ、スポットライトを浴びた選手だけが黄金世代ではない。ナイジェリア・ワールドユースに出場した18名以外の同世代の選手たちもまた、黄金世代に当たる。いまも現役でプレーする坪井慶介をはじめ、みな息の長いプレーヤーになったのはこの世代の大きな特徴であり、それこそが、日本サッカー界への大きな貢献と言えるだろう。

 

 いまもなお、遠藤や小野、稲本、南雄太らは現役でプレーし、それぞれの所属クラブに経験以上の財産となるものを残してきている。引退後も彼らはなんらかの形で日本サッカー界に携わっていくだろう。指導者になるのか、クラブの経営側に立つのか、それともメディアで活動するのかは分からない。いずれにせよ次のステージでも、彼らが日本サッカー界で確かな存在感を示していくのは間違いない。

 

 そうして、黄金世代が日本サッカー界を大きく変えていくだろう。

 

 20年前と同じように―――。

 

文●佐藤 俊(スポーツライター)

 

記事提供:サッカーダイジェストWEB

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