今でも覚えているジャストミートの感触。「俺の中では完璧だった」【福田正博が語る“オフトジャパンの真実”EP4】

今でも覚えているジャストミートの感触。「俺の中では完璧だった」【福田正博が語る“オフトジャパンの真実”EP4】

2020.5.12 ・ 日本代表

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 まだ日本がワールドカップ本大会に出られなかった時代、どこか人間臭く、個性的で情熱的な代表チームが存在していたことを是非、知っていただきたい。「オフトジャパンの真実」としてお届けするのは、その代表チームの中心選手だった福田正博の体験談を基に、「ワールドカップに絶対出る」という使命感を背負って過酷な戦いに挑んだ日本代表の物語であると同時に、福田自身の激闘記でもある。今回は<エピソード4>だ。


【前回までのあらすじ】

92年に発足したオフトジャパンで最初は反発しながらもハンス・オフト監督との信頼関係を築いた福田は、代表チームでトップ下に定着。ダイナスティカップに続き、アジアカップでも優勝に貢献した。しかし、ワールドカップのアジア1次予選を突破したあと、93年5月にJリーグが開幕すると……。心身ともに余裕がなくなっていった。オフトジャパンに都並など怪我人が出るなか、10月、ついにワールドカップ・アジア最終予選が始まろうとしていた。


<エピソード4>

 アメリカ・ワールドカップのアジア最終予選は、カタールのドーハを舞台にセントラル方式で総当たり戦を行ない、上位2か国が本大会出場というルールになっていた。日本の他にこのラウンドに駒を進めたのは、サウジアラビア、イラン、北朝鮮、韓国、イラクで、どこも強敵。1次予選で戦ったバングラデシュ、スリランカのようなアウトサイダーは皆無と厳しい戦いが予想された。しかも、約2週間の短期決戦で、一旦崩れると立て直すのが難しいという側面もあった。


 中東へのコンプレックス(エピソード3参照)もあってか、福田に余裕はなかった。


「(最終予選の仕組みみたいなものを)なんだかよく理解していなかった。ひとつの都市での集中開催、日本にとっておそらく初めての経験で、自分自身も戸惑う部分があった」


 ちなみに、最終予選に登録されたメンバーは以下の22名(フルネーム表記)。GKが松永成立、前川和也。DFは大嶽直人、勝矢寿延、堀池巧、柱谷哲二、都並敏史、井原正巳、三浦泰年、大野俊三。MFは福田正博、ラモス瑠偉、北澤豪、吉田光範、森保一、澤登正朗。FWは武田修宏、三浦知良(以下カズ)、長谷川健太、黒崎比差支、中山雅史、高木琢也。左サイドバックの都並はドーハ入りしても試合でプレーできる状態になかった。

  福田自身も、そしてチームも万全ではないなか、1993年10月15日、サウジアラビアとの初戦を迎えた。両国とも初戦ならではの硬さが見られた試合で、福田が「今でも感触を覚えている」というシュートシーンがある。20分、敵陣のエリア内でラモスがヘッドでポーンと浮かして左に流したボールを右足でジャストミート。しかし、完璧と思われたそのシュートは、GKのモハメド・アル・デアイエに左手一本で止められてしまう。決して大袈裟ではなく、この一撃は福田の、日本の流れを大きく左右するものだった。


「あのシュートが入っていればな、と思う。そんなもので気持ちは変わる。ラモスさんから来たボールを、ジャストミートしているわけよ。完璧なんだよ。少なくとも俺の中では完璧、感触も。今でもその感触を覚えているくらい、完璧なんだよ。上手く抑えて打っているし、GKの逆も突いた。でも、入らない。こういうことが起きるんだ。あれで俺の流れは変わった」


 本人が言うように、あのシュートは完璧に見えた。著者が映像で何度確認しても、完璧に見えたのである。デアイエのセーブは見事だったが、それでも……。当時のサッカーファンで「あれが入っていれば……」とそう思った方は決して少なくないはずだ。

  結局、サウジアラビアとは0-0のスアレスドロー。この結果を受け、福田の心に広がったのは焦りだった。


「勝たなきゃいけないと思っていた。今なら引き分けでも悪くないと捉えることができたけど、当時はそういう思考ではなかった。すべてにおいて余裕がなかった」


 中東へのコンプレックス、サウジアラビア戦の決定機逸……。福田は負のサイクルに呑み込まれようとしていた。どうにか結果を出そうと、続くイラン戦(10月18日)でもプレーするが、一向にキレは戻ってこなかった。


 この試合は福田に限らず、チーム全体の動きも悪く、立て続けに失点。終盤の88分に決めた中山のゴールで一矢を報いたものの、日本は1-2のスコアで痛恨の敗戦を喫した。

  サウジアラビア戦に続き、イラン戦でも精彩を欠いたオフトジャパン。1次予選のように躍動感溢れる攻撃を展開できなかった一因は、都並の欠場にある。この左サイドバックの重要性を福田は次のように語っていた。


「オフトジャパンは、ヴェルディ勢(カズ、ラモス、都並)で形成されていた左のトライアングルでゲームを作って、右サイドはどちらかと言うとハードワークする。そういうチームだった。右サイドバックの堀池さんは基本的に上がって来ないから、右サイドの攻撃全般は俺の役目だったわけ。ただ、それも左でゲームが作れての話。(都並の負傷で)ある意味、全部バランスが崩れちゃったよね。ラモスさんが気持ちよくプレーするためには周りの選手が重要だった。森保にしても、俺にしても、吉田さんもそうだけど、ラモスさんと上手くやりたい。でも、深く関わっているのはカズとサイドバックなんだよ」


 それはオフト監督も十二分に承知していた。だから都並に代わる戦力を必死に探した。しかし、最終予選前のスペイン合宿でテストした江尻篤彦も、最終予選のサウジアラビア戦とイラン戦で起用した三浦泰もいまひとつで、オフト自身も追い込まれていった。「今思えば、当時は戦うだけの戦力が整っていなかった。選手層という部分でね」と福田は言う。


「(左サイドバックは)最終的に勝矢さんを使った。苦肉の策だよね。左足でほとんどボールを蹴れない選手が、ピッチ外に聞きながらプレーしているんだよ。試合中に、『これでいいのか』って。厳しい状況の中で勝矢さんは本当によくやったと思う。ただ、他の選手がどうってことじゃなくて、オフトジャパンで都並さんは文字通り替えの利かないピースだったかな。都並さんが戦えていたら全然違ったはず。チームの雰囲気も含めてね。ある意味、オフトジャパンは出来上がっていたチームだった。ほとんどメンバーを変えずにやってきたからね。でも、それは見方を変えれば選手層が薄いということ。試したい選手がいればオフトも使っていたわけで、結局は総合力が足りなかった」

  都並の戦線離脱でバランスを失ったチームを、福田はこう表現している。「飛行機で言うと、片方のエンジンがなくなった感じ」と。


「あのチームは左がアクセルで、右がブレーキ。それでバランスを取っていた。誰かひとり欠けたら、アクセルにならないよね」


 飛べないオフトジャパンは、最終予選の2試合を終えて1分け1敗。もうあとがない状況下で、福田は完全に自信を失っていた。


「サウジ戦で俺のシュートが決まらない一方で、イラン戦では中山のあんなサイドから蹴ったボールが入ったよね。アタッカーって、入る、入らないで明暗が分かれる。気持ちを切り替えてポジティブに良ければよかったけど、そのための準備が俺にはできていなかった」


 続く北朝鮮戦、ついに福田はスタメンから外された。1次予選も含め、アメリカ・ワールドカップのアジア予選でベンチスタートとなるのは、これが初めてだった。<エピソード5に続く/文中敬称略>


取材・文●白鳥和洋(サッカーダイジェスト編集部)



 

記事提供:サッカーダイジェストWEB

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