【消えた逸材】ついに無所属に…バルサ出身の天才FWボージャンが急失速した"知られざる理由"

【消えた逸材】ついに無所属に…バルサ出身の天才FWボージャンが急失速した"知られざる理由"

2021.3.6 ・ 海外サッカー

シェアする

ボージャン・クルキッチ(FW/元スペイン代表)

■生年月日/1990年8月28日

■身長・体重/170cm・65kg


 2006年のU-17欧州選手権で鮮烈な印象を残したのが、ボージャン・クルキッチだった。


 飛び級で出場したスペインの15歳は、年上の選手たちを手玉に取り、いとも簡単にネットを揺らす。準決勝までの全4試合、すべてベンチからの途中出場にもかかわらず5ゴールを挙げ、大会得点王に輝いた。


 ボールタッチは繊細で、ドリブルは鋭く、その姿はまるで、同じくバルセロナのラ・マシア(バルサの下部組織の総称)で育った偉大な先達、リオネル・メッシのようだった。


 翌2007年も同大会に出場すると、今度はエースとしてスペインを優勝に導いた。イングランドとの決勝では、戴冠を決める唯一のゴールを奪ってみせた。この5か月後にはU-17ワールドカップでも大活躍。PK戦での決着となった決勝はナイジェリアに敗れて涙を呑むも、5ゴールで準優勝に貢献した。


 この余勢を駆って一気のブレイクを果たすのが2007-2008シーズン。バルサのトップチームにデビューすると、ラ・リーガでいきなり二桁の10ゴールをマークする。新たなスターの誕生に世界が色めき立った。


 しかし、すべてがあまりに速く進みすぎたのかもしれない。本人の心がついて行かなかった。世間の注目がプレッシャーとなって押し寄せ、不安が募っていく。やがてパニック発作に襲われるようになり、専門医による診療を受けなければならなかった。


 当時の苦しみを、後にこう振り返っている。英紙『ガーディアン』に語った言葉だ。


「常に何かに追い立てられている気がして、24時間ずっと心が落ち着かなかった。めまいがしたり、吐き気がしたり。何をしてても、どこにいてもプレッシャーを感じて、それを消すことができない。頭がクラクラして、押し潰されそうになって、パニックに陥ってしまう」


 投薬治療でどうにか折り合いをつけながらピッチに立ち続けていたが、世間にはこの事実を伏せていたことで、さらにみずからを追い込んでしまうことになる。


 メディアやファンの不興を買ったのは、彼らの期待を裏切る形でEURO2008の登録メンバー入りを辞退したからだった。


「ボージャンがNOを突きつける」


 新聞には刺激的な見出しが躍った。たまらずインタビューの場を設け、自分の口から招集辞退の釈明を試みた。しかし、ここでも本当の理由は明かさず、単なる疲労で片付けようとしたために共感を得られず、さらなる批判を招いてしまった。


 結局、EURO後の2008年9月にスペインのA代表デビューを果たすのだが、南アフリカ・ワールドカップ予選のそのアルメニア戦が最初で最後の代表歴となっている。 時を同じくしてバルサでも運命の歯車が狂い出す。フランク・ライカールトからジョゼップ・グアルディオラへの監督交代が決定的な出来事で、徐々に出番が減り、気がつけばベンチが定位置になっていた。バルサ退団を決意したのは2011年。辛い別れだったと言う。


「ここに自分の居場所はないって、そう思うことが多くなっていった。信頼されていないんだなって感じたし、それは悲しかったよ。グアルディオラは僕に対してフェアじゃなかった。だからもう出て行くしかなかった」


 ローマ移籍を前にスペインのメディアにそう打ち明けた。


 愛するバルサを離れてもキャリアを再構築することはできなかった。ローマ、レンタルでミラン、レンタルでアヤックス(2013年夏にバルサ復帰も素通りする形でアヤックスへ)と1年ごとにチームが変わり、再起を期したイングランドのストークでもマインツにアラベスとレンタル移籍を繰り返し、最後はストークで2部を戦った。


 2019年からMLSのモントリオール・インパクトでプレーし、2020年シーズン終了後に退団して現在は所属先が見つからないフリーの身だ。30歳のボージャンに、最後の一花を咲かせるチャンスは巡ってくるだろうか。


文●ウラジミール・ノバク

訳●松野敏史


※『ワールドサッカーダイジェスト』2021年2月18日号より転載

記事提供:サッカーダイジェストWEB

シェアする

最新記事