ボール、プレー、そして魂を失ったバルサ。メッシまで嫌気をさして…【現地発】

ボール、プレー、そして魂を失ったバルサ。メッシまで嫌気をさして…【現地発】

2019.12.4 ・ 海外サッカー

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 バルセロナはフットボールすることを忘れてしまったようだ。そのプレーからは個性もオーガナイズもインテンシティーもモビリティーもリズムもスピードも感じられず、試合を見ていると退屈感や倦怠感を引き起こさせる。

 

 ピッチ上で展開される連携プレーはオートマチズムよりも、選手間の親密性が優先され、メッシの多彩なキックと、運も味方にセットプレーからの得点で何とか勝点をもぎ取っているのが現状である。実際、チャンピオンズ・リーグ(CL)の第5節ボルシア・ドルトムント戦を迎えるまで直近4試合で挙げた全7得点のうち流れの中での得点は1つに過ぎなかった。

 

 それでもエルネスト・バルベルデ監督や選手たちはラ・リーガとCLのグループステージで首位を走っている事実を盾に虚勢を張り続けているが、こうした結果至上主義がバルサで機能したためしがない。

 

 思い起こさせるのはエースのロナウジーニョが練習場よりもディスコにいる時間のほうが長いと揶揄されたフランク・ライカールト政権の最終年(07-08シーズン)だ。この時もチームが明らかに破綻をきたしているにも関わらず、会長のジョアン・ラポルタはペーニャ(ファンクラブ)会員の前で「いわれるほど重症ではない」という有名なセリフで反論したが、案の定チームは無冠に終わった。

 

 憂慮すべきは、選手たちが成功とお金を手にしたことでフットボールへの情熱を失ってしまっているように見えることだ。年々、重鎮選手たちの発言権が増し、さらに過去の実績を重んじて結んだ長期契約がその力を一層肥大化させる結果となっている。バルベルデ監督もリーダーシップを発揮する余地がなく、完全に停滞するチームの犠牲となってしまっている。

 

 もちろん指揮官はただ手をこまねいているわけではない。とくに今シーズンはチームを活性化すべく積極的な選手起用を見せているが、補強の目玉のアントワーヌ・グリエーズマンはピッチを彷徨い続けるだけ。フレンキー・デヨングにしても少なくとも幅広く動き回っているが、そこにこれといったチームとしての狙いは見られず、カルレス・ペレスとアンス・ファティも開幕当初の輝きを失ってしまった。

 

 ただこうした若手や新戦力がチームのカンフル剤的な役割を果たせないのは、何も今シーズンが初めてではない。彼らのプレーは重鎮選手の存在感に常に気圧されがちで、原因はやはり新陳代謝の停滞に求めるべきだろう。

   いうまでもなく最大の責任は、功労者たちに遠慮して付け焼刃的な刷新で満足してきたフロントにある。打ち出す政策にも明確な方向性は見えず、「クラブを超えた存在」というお得意のスローガンをただ唱えるだけでは、本当のファンを引き付けるチーム作りに繋がるはずがない。部品を交換してボディを綺麗にしても、モーターが起動しなければ車は走らないのだ。リオネル・メッシという最高のドライバーをしたがえていてもである。

 

 いまバルサに必要なのは確固としたコンセプトだ。しかもただ表層的にクラブ伝統のアイデンティティーになぞるだけでなく、そこに信念と野心を込めなければ、新たなストーリーは生まれない。すでにピークを過ぎた選手たちの実績と能力に頼って惰性で現状を維持するだけではこのまま下降線を描く一方である。

 

 バルサの選手たちはクオリティーもネームバリューも今なお欧州トップクラスに位置する。選手一人ひとりを比べても、CL王者のリバプールが欧州最強の陣容を擁しているわけではない。しかし現状バルサは一体感、連帯感、信頼感といった部分で明らかに見劣りしており、こうした希望やエモーションの醸成を促進する要素を取り戻さない限り、再び欧州を支配するのは不可能だ。

 

バルサは最初にボール、次にプレー、そしていま魂まで失った。このまま停滞ムードが続くようだと、メッシが嫌気をさして出て行くと言い出さないとも限らないのだ。

 

文●ラモン・ベサ(エル・パイス紙バルセロナ番)

翻訳●下村正幸

 

※『サッカーダイジェストWEB』では日本独占契約に基づいて『エル・パイス』紙の記事を翻訳配信しています。

記事提供:サッカーダイジェストWEB

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