「事前に20日間かけて日本と韓国を…」名将スコラーリが2002年W杯でブラジル戴冠をもたらした“影のMVP”を明かす

「事前に20日間かけて日本と韓国を…」名将スコラーリが2002年W杯でブラジル戴冠をもたらした“影のMVP”を明かす

2020.4.1 ・ 海外サッカー

シェアする

 日本と韓国で開催された2002年のワールドカップを制したのはブラジルだ。現時点で、セレソンが最後に世界の頂点に立った大会である。


 その時に指揮を執ったルイス・フェリペ・スコラーリ監督が、3月30日の英紙『The Guardian』のインタビューで当時を振り返った。


“怪物”ロナウドやリバウド、ロナウジーニョといったスターたちを率い、世界を制したスコラーリは「ドクターたちが大きかった。ロジスティクスのシステムも極めて整備されていた」と述べた。


「人は『ブラジルにはクオリティーがある』と思うだろう。『高い技術があるからケアは必要ない』と考えるかもしれない。だが、ケアは必要なんだ」


 一例として、スコラーリは「ロナウドがイタリアでプレーできていなかったことを忘れてはいけない。クラブのドクターからは出場できないと言われたが、代表ドクターが保証してくれた」と明かしている。


「1、2か月もかけ、ランチでもディナーでも専門家が横に座り、『あれを食べてはいけない、これはダメ』と指示した。リバウドはバルセロナで膝の手術を受けるところだったが、代表ドクターが『ダメだ!わたしが理学療法だけで彼を回復させる』と言った。ロジスティクスの担当は、事前に20日間かけて日本と韓国を周った。そういったことが本大会で大きな違いとなったんだ」

  栄光まであと一歩のドイツとの決勝前夜、スコラーリは「とても心配だったのを覚えている。普通は前夜23時就寝で、監督は全員が休んでいるか心配するんだ。(だが深夜に)選手たちはリラックスしていた。ドアのところで話したり、ミニゴルフをしたりしていた。ポリ袋をカップにしてね」と明かした。


「それを見てわたしも少しリラックスした。集中し、練習し、準備したうえで、自信を持っていたんだ。それがタイトルにつながった。我々はひとつの普通の試合として決勝を戦えたんだ」


 その後、母国開催の2014年ブラジルW杯でも指揮を執ったスコラーリは、71歳となった今でもサッカーへの情熱を失っていない。「プレミアリーグの試合をチェックしている。ブラジルでね」と語り、現場復帰の可能性を否定しなかった。


「試合を分析し、チームやゴールを分析する時間はあった。以前より良くなって戻るさ」


 今後、経験豊富な老将が采配を振るう機会はあるのだろうか。


構成●ワールドサッカーダイジェスト編集部

記事提供:サッカーダイジェストWEB

シェアする

最新記事