“タレント”とは何か? 初代表の山本脩斗、伊東純也に見る選手の可能性

COLUMN川端暁彦のプレスバック第51回

“タレント”とは何か? 初代表の山本脩斗、伊東純也に見る選手の可能性

By 川端 暁彦 ・ 2017.12.1

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29日、ハリルホジッチ監督は東アジアE-1選手権に臨む日本代表メンバー23名を発表した。多少意外な顔ぶれもあったかもしれないが、衝撃というほどでもあるまい。海外組に加えてクラブW杯に臨む浦和レッズの選手まで選考対象から外れるとなれば、「可能性」のある選手が無数に広がるのは分かっていたからだ。


初代表の選手が5人いる。東京五輪世代のティーンエイジャーであるDF初瀬亮(G大阪)から32歳のDF山本脩斗(鹿島)まで幅広い。先日の欧州遠征でもギリギリまでメンバーに残っていたという期待の大型MF三竿健斗(鹿島)を除けば、いずれもフルメンバーのA代表には選ばれようのなかった選手だろう。そう考えると、この枠はもう少し投資的に使ってくるかと思っていたので、若手である初瀬と三竿はともかく、山本の選出は意外でもあった。


攻撃的なポジションから、サイドバックへコンバート


山本は1985年生まれの32歳。岩手県盛岡市の生まれで、地元の少年団(上田SSS)から地元の公立中学校(北松園中)を経て、地元の名門である県立盛岡商業高校へ進んだ。東北では有名な選手で、全国的にも決して無名だったわけではないが、トップエリートには届かない。そのくらいのラインにいた。早稲田大学へ進み、そこで名を売って北京五輪の代表候補リストにも名を連ねることとなった。


元々はトップ下やFWの選手である――というか、プロ入りするまではずっとそうだった。長身ながらテクニックがあって、勇敢さも併せ持った好選手。そういう印象である。


大学卒業後は磐田入りが決まっていたものの、その直前に難病が発覚する困難にいきなりぶち当たるなど難しい時期を過ごしたこともあったが、磐田の柳下正明監督(当時)によって左サイドバックにコンバートされる中で才能が開花。高校時代は「王様」として相手チームに徹底マークされる立場だったし、ハイプレッシャーを受けるポジションでずっとプレーしてきた選手である。相手の来る方向が限定されるサイドバックの位置でプレスに慌てることはないし、左右両足を器用に使うこともできる。


元より絶対的なスタミナもある選手で、性格的にも粘り強い。加えてサイズもあって、空中戦も相応に強かった。言われてみれば確かに現代的なサイドバックとしての資質があり、それを見抜いた柳下氏の慧眼には敬服するほかない。もちろん当初は守備面でおぼつかないところもあったようだが、山本には地頭の良さもあった。サイドバックとしての個人戦術を吸収して成長を遂げ、2011年にはザッケローニ監督(当時)の率いるA代表の予備登録メンバーに選ばれるまでになっていた。


当時26歳。A代表に選ばれてW杯を目指すとしたら絶妙なタイミングだったのかもしれないが、残念ながら正式にお呼びが掛かることはなかった。それが32歳になってプレーが円熟の域に達したこのタイミングで「守備力」を評価されて代表に招かれるのだから、分からないものである。もちろん山本が日々積み上げてきたモノの成果であることは言うまでもないのだが、やはり選手の能力がどこでどう開花していくかは予想できないということでもある。そんな当たり前のことを、あらためて教えてくれる好例だろう。


全国的に無名の存在からプロへ


初選出五人組では、FW伊東純也(柏)のキャリアもユニークだ。神奈川県横須賀市の出身。早生まれというハンディキャップもあってか、地域でもそこまで高い評価を受けてきた選手ではない。横浜FMの下部組織のセレクションにトライし、落ちている過去もある。地元の街クラブ(鴨居SC→横須賀シーガルズ)を経て、地元の公立高校(逗葉高校)へ進み、県内の強豪大学(神奈川大学)へというキャリアである。高校時代には「逗葉に面白い子がいる」とローカルで話題になるくらいの選手ではあったのだが、全国的には完全に無名の存在だった。


それが神奈川大学で開花した――のは確かなのだが、トップ・オブ・トップではなかった。全日本大学選抜の一員としてデンソーカップ日韓大学定期戦に出場するなど全国区の選手になってはいたが、プロ入りのオファーを出したのは甲府と山形の2クラブのみ。今となっては驚きの話であるが、Jリーグのスカウトの多くは「スピードだけでプロのトップクラスでは通用しない」という評価だった。


先日、あるJクラブのスカウトが「強くて良いチームにいる選手は3割増しくらいで良い選手に見えるから、ちゃんと割り引いて観ないといけない」と言っていたのだが、これは逆もまた真だろう。日本一を争うようなチームに在籍したことのない伊東のような選手の評価は、実際の実力よりも「3割減」くらいになりがちということである。まったくタイプは違う選手だが、かつての中村憲剛(川崎F)がプロ入りするまで正当な評価を受けられなかったのも、同じような一面があったかもしれない。


近年のA代表に目立つ、中学校の部活出身選手


選手は試合で評価されるものだが、個人のパフォーマンスはチームに左右されるものでもある。育成年代でより上位のチームへ移籍しながらステップアップしていく文化が殆ど存在しない日本では、なおさら選手発掘に際して注意しなければいけないポイントかもしれない。


たとえば、関東2部で3年生で得点王になっていた伊東が、翌年は関東1部の大学に引き抜かれて実力を試される――といったことは当然起き得ないわけだ。21、2歳の選手たちを評価するのさえ難しいのだから、10代の選手については言わずもがな、である。その将来を占うのは、かくも難しい。


近年の若くして日本代表入りした選手たちに限定して振り返っても、中学時代に全国的な評価を得られなかった選手は珍しくない。近年のA代表の若手に、公立の中体連(中学校のサッカー部)出身選手が目立っているのも、その一例だろう(遠藤航、浅野拓磨、久保裕也、植田直通)。


「タレントの発掘」は、先日のU-17/20ワールドカップの総括ブリーフィングでも挙がってきた日本サッカーの抱える大きな課題だが、「そもそもタレントって何?」という話から詰め直しておく必要があるかもしれない。「トップ下のタレント」として評価されていた選手が実は「サイドバックのタレント」なのかもしれないし、強豪チームで目立っている選手以上の可能性を秘めたタレントが、弱小・中堅チームに眠っているかもしれない。ユニークなキャリアを辿ってA代表に至った二人の選手のことを思い出しながら、あらためてそんなことを思った。(文・川端暁彦)


写真提供:getty images

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川端 暁彦

川端 暁彦

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』を始め、『スポーツナビ』『サッカーキング』『サッカー批評』『サッカーマガジンZONE』『月刊ローソンチケット』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。2014年3月に『Jの新人』(東邦出版)を刊行

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