森保監督が唱える「主体性」は、サッカー界と教育界に共通するキーワードだ

COLUMN清水英斗の世界基準のジャパン目線 第120回

森保監督が唱える「主体性」は、サッカー界と教育界に共通するキーワードだ

By 清水 英斗 ・ 2020.12.19

シェアする

ここ2年ほど、『主体的』という言葉を聞くことが増えた。


日本代表の森保一監督がよく口にするからだろう。0-2で敗れた11月のメキシコ戦後も、課題である対応力について、「選手たちが“主体的に”やることを覚悟し、成長を見ていく」と振り返っている。


イビチャ・オシムの「考えて走るサッカー」、アルベルト・ザッケローニの「インテンシティ」、ヴァヒド・ハリルホジッチの「デュエル」など、歴代の日本代表監督はキーワードを持っていた。森保監督のそれは、「主体的」「対応力」になるのだろうか。ある意味では最も総合的で、最も抽象的で、最も壮大なテーマを掲げたと言える。


この『主体的』という言葉だが、どのように理解しているだろうか。メディアの記事、あるいは誰其の発言を読むと、「自主的」「自発的」「主体的」といった類語は、一緒くたにされがちな印象を受けるが、『デジタル大辞典』(小学館)では次のように定義されている。


自主的 ― 「他からの指図や干渉によらずに、なすべきことを自分の意思に基づいて行うさま」。

自発的 ― 「物事を自分から進んで行うさま」。

主体的 ― 「自分の意志・判断に基づいて行動するさま」。


基本的には3つとも似ている。ただし、自主的と自発的は、“なすべきこと”や“物事”が存在するという前提があった上で、それをどのように行うかが焦点だ。流されずに自分の意思で行う、自分から進んで行う、といった手段や姿勢に触れた言葉になる。


一方、主体的は、そういった“なすべきこと”自体が存在しない場合、あるいは不明な場面でも、それを自分の意志で判断し、行動することが焦点になる。答えがない問題に取り組む力というか、目標や課題を自分で設定するのが『主体性』であり、「自分から進んで」とは少しニュアンスが違う。


サッカーらしいキーワード


『主体的』は、実にサッカーらしいキーワードだ。このスポーツはたくさんの“想定外”が起きる。足でボールを扱うために不確実性が高く、攻守に境目がないので常に混沌としている。すべての状況を想定することは到底不可能であり、なすべきことが準備されていない場面でも、自分で判断し、行動を起こさなければならない。それがサッカーだ。


そして、この主体性こそ、日本人が最も苦手とする分野であり、歴代の日本代表監督も、ほぼ全員が不足を指摘してきた。日本の伝統、文化、教育から派生した国民性なので、○○ジャパンの問題、あるいはサッカーの問題として留めることが難しい。個人的にも、「日本人はサッカーに向いてない」という記事を何度か書いたことがあるが、それもすべて、主体性の問題に起因するものだった。


文化や教育の問題だけに、コトは根深い。テーマが壮大すぎて、サッカー界だけではどうしようもない。まったく、森保監督も無理難題を掲げたものだと、正直思っている。


教育界のキーワードでもある『主体性』


ただ、私が面白いと思うのは、その『主体性』を、教育界もまた重要なキーワードとして挙げていることだ。


小・中学校や高校の学習指導要領では、『主体的・対話的で深い学び』という言葉が教育の基本方針に挙げられている。おそらく、この言葉を知らない先生はいないだろう。


『主体的・対話的で深い学び』は、なぜ重要性を増しているのか。現代はグローバル化や技術革新によって社会が急速に変化し続け、先行きを予測するのが困難になった。また、AI等の進化により、消えると目される職業があったり、既存の職業でも求められる役割が変わったりと、あらゆる面で今の常識が通用しなくなる可能性が高い。そうした社会の激変にも、柔軟に対応する能力が必要になる。


だからこその、『主体性』だ。複雑な社会で、予測困難だからこそ、答えのない問題に取り組む力、目標や課題を自分で設定する態度が重要であり、さらに他人との協調性など、AIにはない人間ならではの能力を磨くことが大切になっている。


そうした教育界の問題意識の中で、上記の『主体的・対話的で深い学び』というキーワードが、より一層強調されているわけだ。裏を返せば、現状で達成出来ていないからこそ、とも言える。


社会的使命感を背負う日本代表


それにしても、複雑で予測困難な社会、その変化に柔軟に対応しなければならない……。それって、まさにサッカーじゃないか。成熟社会を迎えた日本の時代観と、サッカーの競技特性は、面白いほど酷似している。


過去、自分たちで考えたり、話し合ったり、行動を起こしたりと、そういう習慣がない今どきの選手を見たとき、「彼らはそういう教育を受けてないから」と、半ば諦め気味にこぼすサッカーの指導者に何人も会ってきた。それは確かだと思う。教育から受ける影響は不可避だ。


しかし、今の日本の教育界と、サッカー界が抱える問題意識は、『主体的』というキーワードでつながっている。状況を自分で判断し、自分の意志で動く人を育てる。教育が結果を出し、目標を達成すれば、日本のサッカーは間違いなく進化するだろう。


でも、それを10年も20年も待つのは面白くないし、そもそも、サッカーから教育に影響を与えられないものか。今の日本代表の選手たちは、大半が欧州でプレーし、それがスタンダードになった。


海外で暮らす彼らならではの、超日本人観というか、「これが主体性だ!」という姿勢を、会話や討論の内容も含めて、子どもたちに示す。社会の一歩先を行く、手本になる。そんな日本代表だったら、ああサッカーって素晴らしいなと、社会からリスペクトされる気がする。


壮大すぎる話だが、『日本代表』と冠がつくからには、それくらい大きな社会的使命感を背負ってもいい。勝つことだけが日本のためとは思わない。


森保ジャパンのキーワード、『主体性』。今後も追っていこう。無理難題だが、意義は深い。(文・清水英斗)


写真提供:getty images

シェアする
清水 英斗

清水 英斗

サッカーライター。1979年生まれ、岐阜県下呂市出身。プレイヤー目線でサッカーを分析する独自の観点が魅力。著書に『日本サッカーを強くする観戦力』、『サッカーは監督で決まる リーダーたちの統率術』、『サッカー守備DF&GK練習メニュー 100』など。

このコラムの他の記事