高校サッカー選手権の京都府予選決勝を観に行ってきた。終わった後でライター仲間たちと夕食を共にしていると(適当に入った京料理店は安くて美味しかった)、当然ながらちょうど観てきたばかりの京都橘高校FW岩崎悠人の話になる。来季の京都加入が内定している、U-19日本代表のストライカーである。果たして、Jリーグでどこまでやれるのか――。
が、この話自体は大して膨らまなかった。一人のライターが唐突に切り出したからだ。
「前に川端が言ってたよな。『FWは時間が掛かるものだから。まだ待て』って。この前、大迫勇也を観ていて『あれ? これか? こういうことか?』と思ったのだけれど、でも何でだ?」
そう言えば、そんな話を以前にしていた。「大迫はあんなに凄かったのに、もうダメなのか」みたいな彼の論に対して、自分がそう言って反論したのだった。「まあ、待て。観てろ。FWはそういうものだから」と。
根拠は何かと言うと、これはもう統計である。データだ。我々はなんとなく漠然と「FWは才能勝負。DFは経験勝負。よってDFは時間が掛かるけれど、FWは若くして出てくる」というイメージを持ちがちだ。ただ、現実のデータはこうした傾向を否定する。才能あふれる選手であっても、日本人FWはブレイクスルーまでにどうも時間が掛かるのだ。具体的に言えば、ズバリ「5年」である。
このロジックを証明するのは別に難しくない。日本を代表するストライカーたちの顔を順繰りに思い出すだけでいい。
たとえば、佐藤寿人。彼がブレイクしたのは市原(現・千葉)を離れて、仙台に辿り着いた高卒4年目のシーズン途中。初めてシーズン二桁得点を記録したのは高卒5年目のことである。
たとえば、岡崎慎司。彼は清水で高卒4年目のシーズン、初めての二桁得点を記録。そこからの栄達については説明するまでもないだろう。
たとえば、前田遼一。磐田でコンスタントな出場機会を得るようになったのは高卒4年目のシーズンから。二桁得点を初めて記録したのは高卒6年目のシーズンだった。
豊田、玉田、興梠、柿谷。そして大迫。5年を目処に覚醒するFW達
たとえば、豊田陽平。彼もまた、高卒で加入した名古屋を離れた山形でブレイク。初めての二桁得点は高卒5年目のことである。
たとえば、玉田圭司。彼も初めての二桁得点は高卒5年目のシーズンだった。そこから一気に日本代表まで駆け上がっていったのだが、3年目までは無得点である。
たとえば、興梠慎三。彼は3年目から出場機会を伸ばしているが、ストライカーとして目覚めて二桁得点を記録することになるのは、やはり5年目のシーズンである。
たとえば、李忠成。彼は高卒4年目(柏に移って3年目)で初めての二桁得点を記録(ギリギリ10得点だが)。
たとえば、柿谷曜一朗。彼は自身をストライカーと呼ばれたがらないかもしれないが、高卒6年目(プロ8年目)で初めて記録した二桁得点は、まさに点取り屋としての目覚めだった。
そして、大迫勇也。鹿島で二桁得点を記録するのは高卒5年目のこと。いずれも高校時代から抜きん出た才覚を示していたストライカーたちだが、リーグを代表するストライカーへとブレイクするまでに5年程度を要している。
もちろん、大久保嘉人のような稀有な怪物もいる(2年目で二桁得点)のだが、彼のような選手は本当に稀少例だ。様々な巡り合わせもある中で、ストライカーとして信頼して起用され、そして結果で応えることができるようになるまで、しばしば時間は掛かるものである。
ネクストブレイクFWは誰だ?
他のポジション、例えばGKは逆に早めに活躍する選手こそ大成する傾向があるが、FWは明らかに違う。どれほど才能ある選手であっても、ストライカーは5年我慢して育てる覚悟を持たねばならない。それが個人的な持論である。
そういう目で今季のJ2得点ランキングを眺めていくと、面白い発見がある。ランク8位の杉本健勇が14得点を記録し、初めての二桁得点となった。彼は高卒6年目。遅れて花開いた印象を持たれるだろうが、ストライカーとしては「あるある」なタイミングである。
長崎で17得点を叩きだした5位・永井龍は高卒7年目。遅いと言えば遅いのだが、ストライカーは時間が掛かるものなのだ。これはもう厳然たる事実で、見守る側もそういう目を持って結論を急がないほうがいい。そう言えば、ランク3位の大前元紀が初めて二桁得点を記録したのも高卒5年目だった。
来季、プロの舞台に挑む岩崎がどうなるかはもちろん分からないし、一足先にプロ入りしたU-19代表で2トップを組む小川航基も1年目の今年は散々な数字しか残せていない。ただ、彼ら二人のストライカーの未来を、1年や2年で占うのは待ってほしい。偉大な先達たちも、ブレイクしたのは5年目以降だったのだから。(文・川端暁彦)
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